大判例

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名古屋高等裁判所 昭和55年(う)228号 判決 1980年10月16日

裁判所書記官

小川幹哉

本籍・住居

三重県鈴鹿市下大久保町二八三九番地の二

会社役員

榊原裕

昭和一八年九月一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五五年六月二七日津地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から適法な控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官津村壽幸出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人渡辺門偉男、同窪田稔連名の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官津村壽幸名義の答弁書に、それぞれに記載されているとおりであるから、ここにこれらを引用する。

第一理由不備等の論旨について

所論は、要するに、原判決は、「被告人は、・・・・・自己の所得税を免れようと企て、工作機械の輸出及び国内売上収入並びに輸入した塩漬原皮の売上収入などを記帳整理していたにもかかわらず、所得税の計算をせずに所得の一部を秘匿したうえ、昭和五二年分の所得金額は一億二三八九万一三四二円であり、これに対する所得税額が七七七一万一五〇〇円であったにもかかわらず、昭和五三年三月一五日鈴鹿市神戸矢田部町焼溝一一一六番地所在の所轄鈴鹿税務署において、同税務署長に対し、所得金額は二六〇万円であり、これに対する所得税額が一四万七四〇〇円である旨の虚偽過少の確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額と申告税額との差額七七五六万四一〇〇円を免れた」との事実を認定判示して被告人を所得税法二三八条に問擬しているが、最高裁判所昭和二四年七月九日第二小法廷判決、同三八年二月一二日第三小法廷判決、同三八年四月九日第三小法廷判決、ことに同四二年一一月八日大法廷判決によると、「所得税、物品税の逋脱罪の構成要件である詐欺その他不正の行為とは、逋脱の意図をもって、その手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行うことをいうものと解するのを相当とする。」と判示しているから、右判例に照らすと、原判示確定申告書の記載に符合するように関係帳簿類又は原始伝票等に虚偽の記載をなすなどの積極的な不正手段を講じていない本件においては、原判示のごとき虚偽過少の確定申告書を提出した行為のみでは、同条にいう「偽りその他不正の行為」に該当しないことが明らかであり、前記のごとく、罪となるべき事実として、過少申告行為を認定判示したのみでなんらの積極的な不正行為を説示していない原判示事実をもってしては、同条の構成要件を充足する具体的事実の判示としては不十分というほかなく、この点において、原判決には、前記各判例の趣旨に反した、理由の不備の違法がある、というに帰着する。

しかしながら、所論各判例は、いずれも、なんらの不正な工作をも伴わない単なる不申告だけでは逋脱罪を構成しないとする趣旨を明らかにしたものであり、真実の所得を隠蔽し、それが課税対象となることを回避するため、所得金額をことさらに過少に記載した内容虚偽の確定申告書を税務署長に提出する、いわゆる過少申告行為は、それ自体所得税法二三八条にいわゆる「偽りその他不正の行為」に該当するものと解すべきであるから(最高裁判所昭和四八年三月二〇日第三小法廷判決、刑集二七巻二号一三八頁参照)、所論はその前提において失当でであり、前記のごとき所論摘録の原判文が、所得税法二三八条の構成要件を充足する具体的事実を判示して間然するところがないことを認めるのに十分である。したがって、原判決に所論のごとき判例違反ないし理由不備の違法はなく、論旨は理由がない。

第二量刑不当の論旨について

所論は、要するに、原判決の量刑が重過ぎて不当である、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査して検討するに、証拠に現れた被告人の経歴をはじめ、本件犯行の動機、態様、罪質等、とくに、本件は、被告人が原判示のごとく工作機械の輸出等の営業により昭和五二年分に一億二三八九万円余に上る所得があったのに、所得税を免れようと企て、なんら真実に則した所得税額の計算をなさず、手持ちの現金に合わせて収支を取り繕った虚偽過少の確定申告書を提出して七七五六万円余に及ぶ相当高額の所得税を逋脱したという所得税法違反罪の案件であって、憲法が定める国民の納税義務に違反した被告人の責任は、これを軽視することができないことなどの諸般の事情を総合考察すると、原判決の量刑(懲役一〇月及び罰金一四〇〇万円、ただし、二年間右懲役刑の執行猶予)は、相当としてこれを是認すべきものであり、所論のうち、被告人が本件において内容虚偽の帳簿類の作成等の工作をしておらず、本件発覚後に修正申告をなして納税を行っている状況など、肯認し得る被告人に有利な一切の事情を十分に斟酌しても、右量刑が所論のごとく重過ぎて不当なものであるとはとうてい認められない。本論旨もまた理由がない。

よって、本件控訴は、その理由がないから、刑事訴訟法三九六条に則り、これを棄却することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海老原震一 裁判官 服部正明 裁判官 土川孝二)

○昭和五五年(う)第二二八号

控訴趣意書

被告人 榊原裕

右に対する所得税法違反被告事件につき、控訴趣意を次のとおり述べます。

昭和五五年九月

右被告人の弁護人

弁護士 渡辺門偉男

弁護士 窪田稔

名古屋高等裁判所 刑事第二部 御中

第一、原判決は被告人に所得税法第二三八条該当の罪責ありとして、懲役一〇月及罰金一、四〇〇万円、但し懲役刑については二年間右刑の執行を猶予する旨の処断であったが、右判決には理由の不備あり、また、その量刑は著しく不当に重きものと考えられるので原判決は変更を免れないものと信じ、左のとおり上申する次第である。

第二、被告人の境遇、被告人は幼少六才のとき父を失い母の働きで育てられ、鈴鹿市立白鳥中学校卒業後直ちに名古屋市内の一、二の鉄工所で働き、成年に達して後の昭和三九年愛知県立東山工業高校機械科に入学し、これを卒業後海外通商株式会社名古屋支社に入社し、昭和四九年四月末同社を退職するまで、セールスエンジニアとして一生懸命働いていたが、経理・税務関係の知識は無く、ただ幼時の悲しい境遇から奮起して独占せんと考え、昭和四九年五月一日鈴鹿市下大久保町の自宅で個人事業のフィールド貿易を始め工作機械類の国内売買と輸出入業に従事するようになったのである。

しかし特に地盤や得意先があったわけではなく、資金も乏しく家庭教師や、知人の紹介で大阪の会社のアルバイト程度のことをやって稼ぎ、その内本業も本人の努力によりやっと将来のめどがつき、海外から注文が来るようになったのである。

本件記録中の査察官の調査書にある如く、相当多額の収益があがるようになったのは全く被告人が休む間もなく飛び廻って働いた結果であって他に援助してくれる者があったわけではないから、本人が自身言っている如くに被告人は事業馬鹿というべきような人間であって、俗に役者馬鹿とか言われる(例えば藤山寛美の如き)者が多大な借財を作っても意に解さぬ風に、被告人も事業を盛大にして将来は小さいながらも強固な貿易会社を作りたいとの一心に燃えて走り廻っていたので経理税務的な面では無頓着であったし、自分でかえりみるひまもなかったというのが本当であった。

しかし被告人は事業の内容というものはキチンと書類にして保管して置くのが客のためでもあり事業(個人、法人を問わず)のためであると考えていたので、昭和五〇年に、前に海外通商株式会社でタイピストをしていた坂下由美子をフィールド貿易に入れてタイピスト並びに記帳等をさせていたが、右坂下も経理には全く無経験であったため、被告人の無智な面の補充とはならなかったのである。

また、昭和五二年二月には経理が出来るという柴崎俊江なる者を入社させたが、これには三ケ月位でやめられたし、結局本件当時並びに今に至るも被告人の雇い入れた者には経理関係に秀いた者はいなかった。ただ本件事件になってからは銀行からの紹介で専門の税理士に見て貰っているので、今後は今迄のような心配はなくなった。

第三、被告の強調する点と原判決理由との関係

被告人は公判の冒頭でも自分はかくしたのではなく、経理税務の知識のないため利益に対する判断を間違えたと述べていて、その点は今に至るも変らないのである。

経理知識のないものがしたことであるので幼稚には相違ないが、書類その他の記帳には事実のとおり書いてあり、虚偽な事実を故らに作成したりしたことはないのである。問題の昭和五二年分の確定申告も、なる程収入九〇〇万、経費六〇〇万、専従者四〇万、所得二六〇万と書いてあって、その収入、経費欄の数字が過少間違いであることは事実であるが、その記載に符合するような帳簿類或は原始伝票等の虚偽記載があるわけのものでは全くないのであって、頗る幼稚というよりは、無頓着な記載であった。

最高裁昭和四二年一一月八日の大法廷判決によると、「所得税、物品税の逋脱罪の構成要件である詐偽その他不正の行為とは逋脱の意図をもってその手段として税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかの偽計その他の工作を行なうことをいうものと解するのを相当とする」と判示している。

そしてこの大法廷判決は逋脱の意図とこれに関連した手段の全体を実質的に評価して、その外形の積極、消極にだけ把われることなく逋脱の手段として、「税の賦課徴収を不能もしくは著しく困難ならしめるようななんらかかの偽計その他の工作を行なう」ことを示したものというのであって、右大法廷判決の判文中には「原判決は単に正規の帳簿への不記載という不作為をもって直ちに詐偽その他不正の行為にあたるとしたものではなく、被告人が物品税を逋脱する目的で物品移出の事実を別途手帳にメモしてこれを保管しながら税務官史の検査に供すべき正規の帳簿にことさらに記載しなかったこと、他に右事実を記載した帳簿もなく、納品複写簿、納品受領書綴、または納品書綴によっても右事実が殆んど不明な状況になっていたことなどの事実関係に照し逋脱の意図をもってその手段として税の徴収を著しく困難にするような工作を行ったことが認められるという意味で右判例(小法廷判決のこと)にいう積極的な不正手段に当ると判断した趣旨と解せられる」との判示があり、全体的な考察により構成要件充足の有無を判断すべく、積極的な不正手段の要することを示している。

されば、本件被告人の如く、確定申告書に収入、経費を過少に記載したとしても、それだけで所得税法二三八条にいう「詐偽その他不正の行為」とはいえず、申告したから積極的と単純にいうこともいえないのであって、本件については昭和五五年三月末に名古屋国税局長から重加算税無しの過少申告加算税のみの令書が来て居り、その後国税徴収部との話合で二四回の延納、延納利子も半分の七・二五%でよい等との取り計いもあった如く国税当局も被告人が不正手段を使ったことのないことを認めて下さっているのである。すなわち重加算税は納税不履行が課税要件を事実を隠ぺい又は仮装した上でされた場合に限るのであって、それを課さないことは、かかる事実の無いことの証明でもある。

また、原判決といえども、被告人に課税要件事実をかくしたり、事実を仮装したり、二重帳簿を作成したりしたような事実を摘示認定したことは決してなく、むしろ原判示がいうが如く、「被告人は工作機械の輸出及び国内売上収入並びに輸入した塩漬原皮の売上収入などを記帳整理していたにもかかわらず、所得税の計算をせずに」というのであるから、原判示は被告人は確定申告書(これも知合の税務署員に口頭で述べて簡単に書いて貰ったということであるが、その知人に今少し親切心があれば被告人に忠告して大事に至らなかったかも知れないのである)の記載こそ過少申告であったが、課税要件事実を仮装したり隠ぺいした事実はなく記帳そのものは事実のとおりキチンとしていたということを裏書しているようなものである。

ところが、原判決は右判示にもかかわらず「被告人は自己の所得税を免れようと企て・・・・・・・・所得の一部を秘匿したうえ・・・・・・・・・虚偽過少の確定申告書を提出しもって不正の行為により・・・・・・・免れたものである」と判示記載して、右の抽象的ともいうべき字句を付加することにより構成要件が充足されたと見ているのかも知れないのである。

しかし前記大法廷判決の示す如く逋脱犯の構成要件の構造が包括的に過ぎ、これを制限ないしは厳格に解釈する必要ありとの考え方からすれば、前記原判決の摘示した事実では所得税法二三八条の構成要件は充足されていないし、又判示のみならず事実として被告人は積極的な不正行為をしていないのであるから、原判示は間違っている。単純な不申告を消極的な不作為とみて、これと対比して申告した内容が過少な場合を申告したが故に積極的とみるのは余りに近視眼的な観察であり、大法廷は刑事制裁の対象とされた行為がそれに価するだけの社会的常規を逸脱した悪質な行為であることが納得されなければならないという意味に於いて逋脱罪の構成要件についてやゝ厳格な解釈を採用したものといえるのであって、原判決はこの点に意をもちいなかった故か理由不備の違法をおかしたものであって破毀を免れないものと信ずるのである。

すなわち、原判決は次の各判例に違反するものといえるのである。

1. 上記大法廷判決昭和四〇年(あ)第六五号四二年一一月八日

2. 昭和三三年(あ)第二五三五号、三八年四月九日最高裁第三小法廷

3. 昭和二四年(れ)第八九三号、二四年七月九日第二小法廷

4. 昭和三三年(あ)第一五六九号、三八年二月一二日第三小法廷

そして右判例を論ずる者は微妙な事実関係、法律問題を含む事件につき今後の判例の積み重ねにまつ外はないが、逋脱の意思にもとづく行為であっても、全体的、実質的に評価しても積極的な手段といえないものまでも「不正行為」に含めてしまうようなことは妥当であるまいといっている。(ジュリスト別冊租税判例百選一一三号事件 板倉宏) (法費時報第二〇巻第三号二二二頁 木梨節夫)

第四、かりに、前記の理由不備ないしは判例違反の主張が採用されないとしても、原判決は、前記の如くに所得税法第二三八条違反としては極めて軽微な罪質の行為であって、しかも被告人が未だ三七才の若さで独力で一応の成功をおさめた努力家であり今後は会社組織に改めて専門の税理士に任せて納税に協力する決心であり、本件の昭和五二年分税金については、すでに国税当局と協力して、本税修正申告分並びに過少申告加算税の納付を確実に約定履行しているにもかかわらず、前記の如き所得税法第二三八条の本旨を誤って解釈したのに起因して、懲役一〇月罰金一、四〇〇万円の重刑を科したのであるから、右は全体から考察して不当に重き量刑といわざるを得ず、原判決は、この点からいっても破棄を免れないものと信ずる次第である。

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